「ぐるりのこと」梨木 香歩
170 p 新潮社
目次
向こう側とこちら側、そしてどちらでもない場所
境界を行き来する
隠れたい場所
風の巡る場所
大地へ
目的に向かう
群れの境界から
物語を
季刊誌「考える人」2002年夏号から2004年秋号に掲載されたエッセイ。
ものを考えなくなった私には、結構重い。
テレビを見ても 代わりの人が、コメントを言ってくれるのに慣れ、他人の意見が さもはじめから自分の意見だったように感じ、自ら考えなくなっている。
しかしこういうエッセイを読むと、どうしても考えないといけなくなる。
そうすると 著者と考えが、一致しないと かなりのストレスを感じ、そうじゃないんじゃないかと 反発しながら読むことになりそれがかなり疲れる。
つまり、わかるけれど、ちょっと私は・・・なんて思いつつ読む箇所があった。
しかし いろいろ よく考えて書いてあることは 間違いない。
ところで、自らの意見を述べるときは、本当にそれが、(情報を含み)間違いなかったかのかと思うことが多々ある。今まで、本当だと信じられていたことが 急にひっくり返ることがあるからだ。
先日読んだ記事は、60年前 沖縄での、集団自決が、軍の隊長の命令だといわれていたのが 実は違っていたという話。民間人の場合、軍の要請で、協力したら、遺族年金など 国からの補償とかあるので、命令を出したとされる、隊長は、住民を守れなかった責任からも、沈黙し、不名誉に甘んじていたという。最近、そのことを、証言をした人が、事実を告白したので わかった。
何が 本当かを知るのは、難しい。
そんな中で、歴史問題や、戦争に関することで、自分の意見を書くのは、勇気がいると思う。なぜなら、一般に知れ渡っていることが 歪められた情報で あるからかもしれないからだ。
特に 最近 新聞での情報が 偏っていることが あるのを目にするたびに、すべてそのまま信じられなくなっている。